松尾歴史探訪まつおあちこちマップ
松尾あちこちマップ

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庄屋屋敷大森本

しょうややしき おおもりもと

新井区。飯田藩の米びつ島田村の庄屋を勤めてきた森本家(大森本)の約1,000坪の屋敷。日記や古文書をはじめ貴重な品々が代々伝えられている。本棟造りの母屋や長屋門は1700年代の建築である。

2

弘法大師堂

こうぼうたいしどう

荒井区。新井の人々が弘法講でお祭りしてきた大子堂。堂内には、弘法大師坐像など4体の像が祀られている。1745年建立であったが、近年建て直された。「伊那島田二十四番弘法大師札所」でもある。

3

弁天厳島神社

べんてんいつくしまじんじゃ

新井区。天竜川船運の安全祈願で安芸厳島神社から勧請された。 天竜川弁天岩上に本殿が祀られていて隣村との村境論争 「弁天公事」 裁許の重要な論拠となった。拝殿は旧堤防上にあった。 36災後現在地に移転。

4

舟下り弁天港

ふなくだりべんてんこう

新井区。全国から観光客が集る天竜舟下りの出発港。 水しぶきを浴びながら、天竜川の渓谷鵞流峡(がりゅうきょう)を経て時又港まで下る。

5

庚申塚の双体道祖神

こうしんづかのそうたいどうそじん

新井区。「お庚申さま」とよばれる妙前9号古墳の上に、庚申像や蚕玉碑、甲子碑などと共に祀られている。松尾地区内に三体ある双体道祖神の一つ。松川から取水した思井川が水城や寺所へと向きを変える金棒地籍に立つ石碑群。井係り所有の百万遍供養塔・南無妙法蓮華経碑等が立つ。

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金棒の石碑群

かなぼうのせきひぐん

上溝区。松川から取水した思井川が水城や寺所へと向きを変える金棒地籍に立つ石碑群。井係り所有の百万遍供養塔・南無妙法蓮華経碑等が立つ。

7

飯田卸売団地

いいだおろしうりだんち

上溝区。狭くなった旧市内の問屋街が、水田地帯に造成された広大な地に移転して出現した飯伊の台所。青物や魚市場、各種卸問屋や商社が集中する。

8

瑞雲山龍門寺

ずいうんさんりょうもんじ

上溝区。臨済宗妙心寺派の古刹。開基は松尾城主小笠原信貴(龍門寺殿)で、地域の人々から「りょうもんじ」と呼ばれる。門前の黒松は妙心寺派管長にもなった、第18世伽陵和尚の時代に植えられた。

9

御社宮司社

みしゃぐうじしゃ

上溝区。諏訪国伊那郡伊賀良庄島田郷の一ノ宮とされ、諏訪大社の式年祭のたびに御柱立替人足の送迎などを行ったといわれる。社宮司社碑や津島様を祀るお立符などが立っている。

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三昧所

さんまいじょ

久井区。かつてはお堂もあって、死者の冥福を祈るための信仰の場でもあり、広場では飼い馬を馴らしたり子ども達が集まって遊んだりする場でもあった。エノキの大木の下に馬頭観音など石仏や石碑が集められている。

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羽根庄の八間門

はねしょのはっけんもん

久井区。旧飯田城の二の丸門を、城取り壊し時に移築したもので、現存する飯田城遺構の中では最古。正面五間、側面四間の門で飯田市有形文化財(建造物)指定。

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元善光寺道

もとぜんこうじみち

久井区。段丘直下をたどる小径は、古道の面影を残し、路傍には何基もの江戸期以降の馬頭観音や六地蔵が立ち、珍しい牛面観音(昭和3年)も立っている。

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法華寺跡

ほっけじあと

水城区。小笠原秀政が飯田城の城下町を整えた時、領内から寺院を移築させた内の一寺である法華坊の跡。現飯田市箕瀬に移転後は田嶋山長源寺。

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水城のお立符

みさしろのおたちふ

水城区。津島様のお札が柱の上の鞘に祀られて立つことから前方後円墳も含めて「お立符」と呼ばれる。甲子などの石碑が立ち、エドヒガンの老桜は市天然記念物。

15

六の撥ね

ろくのはね

寺所区。暴れ天龍から美田を護っていた弁天石堤防を保護した六つの撥ね石堤防(沈床)の一つ。今では弁天港下の水中にわずかに痕跡を残すのみ。

16

寺所遺跡

てらどこいせき

寺所区。寺所コミュニティセンターとその周辺には、弥生時代から古墳時代にかけての住居址や「寺所式」と命名された土器などの遺物が発見されている。

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明の郷蔵

みょうのおくら

明区。飯田藩主堀氏が、飢饉に備えて藩内各地に建てた備蓄蔵の一つ。新井や毛賀にも置かれた。所在地が何度か変ったが36災で現在地に移転された。

18

ほっ湯アップル

ほっとあっぷる

水田地帯から流通基地や工場地帯に変貌した明河原に、1999年飯田市健康増進施設としてできた温泉。近隣からの入湯客で賑う。

19

梅花藻

バイカモ

明区。思井川用水の水中に梅の花のような白い花が咲く。かつては松尾の井水であちこちに見られたのに、絶滅危惧種となってしまったバイカモだが、明区の人々の手で復活し、市が井水改修工事を進める。

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鳩ヶ嶺八幡宮の大鳥居

はとがみねはちまんぐうのおおとりい

八幡町区。広大な社叢に囲まれる松尾の鎮守様、八幡様(はちまんさま)とも呼ばれる鎌倉時代創建の神社。御神像は国の重要文化財。1709年に建立された大鳥居の石材は松川から一万人の人力で曳行されたといわれる。

21

八幡町旧街道

やわたまちきゅうかいどう

八幡町区。八幡様の門前町として発達した飯田藩の在郷町で、下伊那南部の村々を商圏とした一大商業地だった。なまこ壁の蔵、うだつや竹矢来、馬つなぎ石など往時の下條街道、遠州街道沿いの面影を残す。

22

秋葉街道道標

あきばかいどうどうひょう

八幡町区。八幡様前にある 「右志もじょう、左あきは道」と刻まれた道標は、1760年に建てられた。ここから遠州秋葉神社までの秋葉街道が伸びていた。

23

飯田市立病院

いいだしりつびょういん

八幡町区。水が無かったこの地に、国道バイパス開通、松川ダムからの引水後、狭隘(きょうあい)となっていた市立病院が1992年移転。飯伊の拠点病院となっている。

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松尾城址公園

まつおじょうしこうえん

代田区。戦国武将で信濃守護となった松尾小笠原氏の根拠地。段丘突端の城跡から、覇を競った鈴岡城や神之峯城を一望する。県史跡。

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枠手の双体道祖神

わくてのそうたいどうそじん

城区。慈光松尾保育園南側枠手の坂の傍らに立つ道祖神。1822年に建立した世話人7人の名前が刻まれている。手を握り、寄りそう男女の姿がほほえましい。

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松源山清見寺

しょうげんさんせいけんじ

城区。鎌倉時代、 伊賀良の庄の地頭(ぢとう)となった小笠原氏が居を構えた松尾館がこの一帯にあり、小笠原氏の鬼門除けとして建立された。前庭に樹齢150年のシダレザクラが咲く。

27

知久平の渡し

ちくだいらのわたし

清水区。天竜川で分断されていた竜東と竜西を結ぶ渡船場の一つで、現在の水神橋下流にあった。秋葉街道の清水の城端 (じょうばた) と下久堅知久平の間を半官半民の舟で渡していた。

28

毛賀諏訪神社

けがすわじんじゃ

毛賀区。毛賀村として一村をなし、明治になって島田村と共に松尾村となった毛賀区の産土神。境内には青面金剛碑や青麻神社など地区の篤信ぶりを伝える物が多い。1815年再建の本殿は市指定文化財。

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青面金剛碑

しょうめんこんごうひ

毛賀区。毛賀諏訪神社の境内にあるお庚申様。庚申会(こうしんえ)の本尊で、顔の色が青いとされる金剛童子。1683年建立で、当地方最古の金剛碑。

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毛賀の双体道祖神

けがのそうたいどうそじん

毛賀区。彫が深く、男女が互いに手を差し伸べ握り合う姿は仲睦まじい夫婦の姿である。1810年建立で、願主小木曽氏の願いがうかがえる。

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活断層露頭

かつだんそうろとう

毛賀区。毛賀沢川右岸に表れる活断層の露頭。伊那谷の段丘を形成した逆断層の一つ念通寺断層の露頭で、毛賀区の人々が進入路を整備している。

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米噛み石

こめかみいし

江戸時代諏訪大社への造営米を上溝の御射山神社で集めた時、造営米を持参した人々がこの石に腰掛けて一休みしたといわれる。