妙前・大石古墳群案内マップ

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羽場獅子塚古墳
上溝15号古墳
前方後円墳

羽場獅子塚古墳上溝15号前方後円墳

妙前・大石古墳群の主塚と考えられている。前方部は削りとられて姿を消し、後円部のみ残る。ふき石が墳丘表面に多数見られる。古墳群との標高差約30m。眺望の良い高台に位置する。

2

眉庇付冑

眉庇付冑(まびさしつきかぶと)とは庇(ひさし)のついた防御用の冑のことである。鉄製で鍍金が施された優品。妙前大塚古墳出土・県宝。

3

妙前1号古墳
円墳

規模は東西10.8m 南北10.4m高さ1.2m。墳丘の上部は削られ、野菜畑になっているが、円墳の基部の形ははっきり残る。石室の有無は不明である。ここから東に向かって古墳群が広がり、古代歴史遺産の宝庫となっている。

4

妙前2号古墳
円墳

規模は東西12.3m 南北 15.4m高さ2.2m。1号墳南およそ20mの所にある。かなり変形しているが墳丘部分は多く残っている。周辺のようすから大きな円墳だったことが推定される。出土品があったようであるが所在不明。墳丘上は一部畑となっている。

5

妙前大塚古墳
妙前3号古墳
円墳

郡下5番目(古墳群中最大)の規模をもつ大型古墳。東西23.3m南北30.3m 高さ6mで、墳丘が完全に保存されている。昭和45年の発掘調査の際、眉庇付冑(県宝)、剣、鉄斧など多くの出土品があった。推定築造年代は5世紀前半で、円墳としては古いものに属する。

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妙前坊主塚古墳
妙前4号古墳
円墳

3号古墳と同様、墳丘が完全に残る円墳。東西 21.1m 南北18.1m高さ3.5mの大きな規模で、残石の状態から竪穴式(たてあなしき)石室があったと考えられる。北西側は築造当時の原形を保っている。郡下24番目(古墳群中2番目)の大きな古墳。出土品は不明である。

7

妙前5号古墳
円墳

東西15.3m 南北21.8m 高さ4.0mの規模をもち、一部墓地・道路のため削られているが、ほぼ完全に近い形で墳丘が残る。その墳丘上に「宝塚之万霊」碑が立つ。出土品として須恵器の破片があったというが所在ははっきりしない。石室の有無等についても不明である。

8

妙前6号古墳
円墳

規模は東西11.7m 南北 8.1m 高さ 2.9m。墳丘上に宝暦11(1761)年に建立した「日本廻国供養塔」がある。周囲は墓地で、大きく変形しているが、築造当時はかなり大規模な円墳であったと推定される。頂上は雑草地。石室の有無、出土品ともに不明である。

9

妙前7号古墳
円墳

現在、東西8.7m 南北 11.0m 高さ1.7mの平地である。平地には梅や野菜が栽培されている。この古墳には石室があったと伝えられているが、その残石を見つけることはできない。出土品として土師器(はじき)・須恵器の破片があったが、所在不明である。

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妙前丸山古墳
妙前8号古墳
円墳

周辺の状況からみて大規模な円墳だったと推定されるが、変形著しく、径12.5~13.9mの墳丘が残る。墳丘上に伊澤3家の氏神様と大きなエノキの木がある。墳丘上や周りに大小の石が多数あり、竪穴式の有石室古墳であったことは確実である。

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妙前庚申塚古墳
妙前9号古墳
円墳

封土の半分が残ると推定され、全体的に変形が顕著である。3面石垣に囲まれ、東西8.5m 南北7mの土壇上に「庚申塔」「青面金剛」「双体道祖神」などの石碑が多数並ぶ。 その中の大石碑は石室の天井石と考えられる。有石室古墳で、築造年代は古墳群中では古い方と思われる。

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妙前10号古墳
円墳

大きく変形した古墳で、墳丘境もはっきりしない。しかし、古墳の形状は残り、墳丘北側は雑草地が続く。墳丘上に祠と、古いネズミサシの木がある。前面は墓地。規模は径12.7m 高さ 0.9m。石室の有無、出土品は不明である。

13

妙前法華塚古墳
妙前12号古墳
円墳

2007年頃まで盛土状の古墳跡に「三界万霊」の大石碑が立っていたが駐車場拡張のため少し移転し、盛土は姿を消した。盛土部分は東西 4.2m 南北12.0mの記録がある。そここに多くの石仏があったが「三界万霊」とともに新しい場所に安置されている。

14

妙前15号古墳
円墳

現在、東西3.3m 南北17.6mの細長い封土が残り、上に「秋葉山金比羅山」(高さ60cm)の石碑がある。封土上には他に、クロマツ、モクレン、ツバキ、紅梅などが植えられている。封土上や周辺に大石が多く、有石室古墳と推定される。出土品不明。

15

大石1号古墳
円墳

小字名「大石」をとってつけられた古墳名である。広い畑のほぼ中央部にあり、一辺約2.5mの正方形の封土らしい盛土に「三界万霊」碑が立つ。この古墳は周辺のようすから径10m以上ある円墳が想像される。かつて周辺から須恵器の破片が見つかったというが、今は見つけることはできない。

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大石2号古墳
円墳

宅地内にあり、大型の円墳だったと推定される。この古墳は現在、東西3.7m 南北5.2m 高さ 1.9mが残る。特筆したいのはその狭い場所に竪穴式石室がそのまま露出していることである。大きな天井石が何個か組み合わされたそのようすは、6世紀の石室そのままを表現している。

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妙前11号古墳
円墳

10号古墳の北北西80mの畑中にあった。会社の敷地となり消滅。墳丘上にあった「(梵字)宝生佛」(文化11年2月建立)の石塔は現在、法華塚近くの墓地中にある。写真の倉庫前が旧跡。

18

妙前13号古墳
円墳

12号古墳西50mの畑地にあった。規模は径2.2m×3.3mの小封土が残っていたが戦後、道路拡幅により消滅。出土品の土師器、須恵器は松尾小学校旧蔵。正面道路一帯が旧跡。

19

妙前14号古墳
円墳

13号古墳と15m離れた水田中に東西11.5m南北16.3m 高さ 0.7mの小封土が残っていたが昭和30年ごろ、会社の敷地となり消滅。出土の直刀 (90cm) が、下伊那教育会館に
所蔵されている。

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代田山狐塚古墳
前方後方墳

松本・弘法山、篠ノ井・川柳(せんりゅう)姫塚に続く3基目の前方後方墳である。下伊那の古墳中最古の4世紀の築造。規模は全長44.5m 後方部の径28m 高さ5.3m 前方部幅21m高さ2.1m。八幡様所有地で、県史跡に指定されている。

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御射山獅子塚古墳
前方後円墳

前方後円墳の美しい姿をよく残す古墳で、後円部径32.6m 高さ9.0m 前方部幅45.7m 高さ8.0mである。現存する松尾の前方後円墳中、最大である。

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おかん塚古墳
前方後円墳

道路敷設により前方部は消滅し、後円部のみ残る。後円部径14.5m 高さ6.1mをもつ後円部に、全長 10.35m 高さ3.9mの両袖式の石室を有する。高さは南信最高といわれ、天井石の大きさは見事である。

23

天神塚古墳
前方後円墳

前方部は集会所の敷地となり、後円部のみ残る。墳丘に天神様が祀られている。規模径21.8m 高さ7.9mの後円部に長さ10.9m高さ1.9mの無袖式石室を有する。石材は花崗岩の自然石である。

24

姫塚古墳
前方後円墳

水田のため一部変形するが、ほぼ完全に近い墳丘を保っている。総長40.0m 後円部幅23.6m 高さ5.2m 後円部径23.6m 高さ5.4mの規模である。赤彩石室が存在することで有名。

25

姫塚古墳の赤彩石室

赤彩石室の内部で、正面、 両側面、天井石のすべてに朱(ベンガラ)が塗られている。赤彩石室をもつ古墳が郡下に3基あったが、現在、はっきり残る石室はこの姫塚のみとなった。保存が望まれている。

26

八幡山古墳
前方後円墳

赤土採取のため、前方部は消滅したという。「帆立貝古墳」ともいわれる。規模は東西径23.7m 南北径28.5m 高さ3.3m。東北西3面に長さ約50mの空濠(からぼり)が存在
する。直刀1本が出土、石室の有無不明。

27

水佐代獅子塚古墳
前方後円墳

宅地化により墳丘は変形したが、北面に原形を見ることができる。全長54.2m 前方部幅21.4m 高さ4.0m 後円部径27.4m 高さ4.0mである。有石室古墳。墳丘上にあるエド
ヒガンとともに、市文化財に指定されている。

28

代田獅子塚古墳
前方後円墳

前方部の規模は幅32.3m 高さ3.7mで、西南端に北原痴山揮毫の「獅々塚」の石碑が立っている。

妙前・大石古墳群の特徴

・東西約350m、南北約130mの範囲に17基存在しており、その密度は県下有数です。
・その古墳の多くが完全またはそれに近い墳丘 (ふんきゅう)を残しています。
・主塚 「羽場獅子塚」 と17基の陪塚 (ばいづか)の配置に当時の主従関係を見ることができます。
・大塚 (妙前3号)から県宝 「眉庇付冑」(まびさしつきかぶと)が出土しています。

妙前原(みょうじんばら)を含む一帯は松川による沖積(ちゅうせき)台地で、この肥沃な地に人々は弥生時代から、次第に定住するようになりました。定住の決め手は紀元後100年ごろ、この地域まで拡大してきた稲作技術でした。この地を支配していた豪族は、豊かな湧水を利用して稲作を奨励し、労力となる馬を飼育させました。その結果、人々の生活は飛躍的に向上します。
豪族は権力を誇示するが如く、大きな古墳を次々とこの地に築造しました。築造の技術は先進地のヤマト(大和)の人々に頼ったといわれています。妙前・大石古墳群1400~1600年前の遠い時代の歴史文化を、現代に住む私たちに伝えてくれる貴重な遺産です。